== バレエオタN ==

ボクノオネエチャンハバレエヲナラッテイルノダ(その1)

私はこのブログでバレエオタという名前になっていますが、あくまで、他称、仮称であります。
オタクと言われるほどの知識量はなく、また、網羅することへの欲望、みたいなものも全くありません。

しかし、バレエを職業にしていない男性の中では、小学生くらいから、ぼちぼちと、いろいろな舞台を見ているほうかもしれない。

それも、姉がバレエをやっていたからです。

私の姉は、生まれ年で5歳、学年で6つ上。小学1年生のときに、あちらは中学1年という関係で、けっこう離れています。

姉は5、6歳からバレエを習っていますから、私は物心ついたころから「ボクノオネエチャンハバレエヲナラッテイルノダ」と分かっていたわけです。

幼い弟ですから、発表会には当然行くし、稽古場の隅で見ていた記憶もある。

ちなみに「弟さんもイケメンだからバレエ習わせたら」と言われたことは、なぜか一度もありませんでした。

また、チケットが余った、とか、バレエ好きじゃなくてもこれは見ときなさい、とかいろいろな理由で、プロの公演にも連れて行かれました。

中学生くらいになると、姉のボディーガード役?として同行することもありました。上野で夜の公演を見て、さらに出待ちをして所沢の実家まで帰ると、夜11時を過ぎたりするのです。

出待ちで一番記憶に残っているのは、往年のボリショイのプリマ、リュドミラ・セメニャカ。

当時、セメニャカは美人揃いのバレリーナの中でも、飛び抜けた美貌で有名な人でした。

最近、ザハロワのドキュメントを見ていましたら、どーんと3倍くらいデラックスになったセメニャカがザハロワを指導していました。

さて、そのセメニャカがすごい美人だから近くで見よう、ということで出待ちをしたわけです。

近くで見るセメニャカの姿は、今でも動画としてアタマの中で再生することができます。
上野の森をバックに微笑むセメニャカは、女神か、春の夜の大気が人の姿に凝り固まった妖精としか思えませんでした。(記憶の中では3月の終わり頃で、梅の香りがしている。あそこらに梅の木がありましたっけ?)

恐らく70年代後半頃だったろうと思います。所沢に住む少年が、外国人を見ること自体、稀で、間違いなく私は、見事に、それこそ、ぽかーんと口を開いていたことでしょう。
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